◯戦前の医師会

 明治20年(1887)4月23日公布の開業医組合規則(県達110号)により、「群馬の医史」によれば約33名で結成された「群馬県開業医組合利根北勢多郡支部」が、利根沼田地方における最初の医師組織であり、今日の沼田利根医師会の母体である。2年後の同22年2月7日出版の『上毛医籍集』によれば、利根郡および北勢多郡の医師は33名で、支部長は群馬良三(緒方洪庵の適塾出身)であった。

 『利根郡私立衛生会誌』(明治29年8月号)によれば、同26年3月に全国組織の大日本医会が創立され、その地方部会として「利根北勢多同盟医会」が組織された。これは同29年4月1日をもって利根郡が北勢多郡を吸収合併したので、同年4月20日の臨時会で「利根医会」と改称し、会員31名の中から理事長に角田茂登造を選出した。同様に、「開業医組合」も「利根郡支部」と改称した。この明治29年から、初代支部長の群馬良三を後継した角田茂登造が支部長(会長)を26年間の長きにわたり務めた。

 明治31年1月8日、勅令第2号で学校医設置法が公布され、同年5月16日県訓令第56号により郡市町村立学校医嘱託手続きが定められた。32年における利根郡の町村立小学校62校のうち24校に学校医が設置された(県史資22−7)。

 明治34年4月19日、県令第35号群馬県医業規則の発布により開業医組合を改組して、同年5月30日に会員30名の「利根郡医会」を設立し、同年11月創立の群馬県連合医会に加盟した。同38年に会の事業として、36年から大流行していたペスト調査を行った。

 明治39年5月2日に法律第47号医師法が制定され、40年2月に県令第8号医師法施行規則が定められ40年2月19日に「利根郡医師会」を創立、同年12月14日に群馬県連合医師会が結成された。これが医師会の淵源である。42年、会の事業としてチフス調査を行った。

 明治43年には、良家の子女を集めて伝染病対策のボランティア養成の講習会を開催し、同年5月27日に受講者への修業証書授与と記念撮影を行った(『沼田万華鏡』第16号)。

 大正8年(1919)9月25日の勅令第429号医師会令による有資格者の強制加入と役員の地位強化を図った法人医師会への改組にあたり、同年12月18日に会員30名の「法人利根郡医師会」が設立許可された。

 大正10年、県医師会より委嘱された群馬県医師会利根郡看護婦養成所を1年間運営して、修業者18名に県知事から准看護婦免状が下付された。

 大正11年3月から田村藤四郎が会長となり、大正12年3月に内務大臣から当医師会に諮問されていた「乳幼児の死亡率低減について」の答申書を大正13年1月に県医師会を経由して提出した。昭和2年3月から窪田由紀衛が県医師会理事を4年間務め、昭和11年3月から当医師会の会長となった。

 戦時下の昭和17年2月25日に国民医療法が制定されて、大正8年の医師会令による医師会は改組となり、医師会は戦争遂行の至上命令に即応するものとなった。郡市医師会は廃止され、昭和17年12月22日に新しい群馬県医師会が設立されて、本会は「群馬県医師会利根郡支部」となり、会長の窪田由紀衛が支部長となった。『日本医籍録』(昭和18年版)によれば、当時の会員は28名である。

 

◯新生医師会

 昭和20年(1945)8月15日の終戦によって、国民医療法(17年2月制定)の医師会は、GHQの勧告による法律第128号「医師会、歯科医師会及び国民医療団の解散等に関する法律」で、22年10月31日に解散となった。

 戦後の新生医師会は、22年8月26日に沼田保健所に会員53名中33名が出席して設立総会を開催した。定款を承認し、新役員(会長角田茂雄)を選出し、同年11月8日に「社団法人利根郡医師会」が設立許可となった。

 その後30年3月25日、医師会活動の拠点となる利根医師会館が東倉内町に落成し、同館内に沼田准看護婦学校(定員15名)が翌31年4月1日付けで設立許可となり、同年4月9日に開校した。

 昭和47年12月12日、新医師会館の沼田利根メディカルセンターが高橋場町に竣工し、医師会事務局と准看護婦学校が移動した。

 同センター内に、48年4月1日から休日急患診療所を開設した。これは県下では場所の定まった定所休日診療所方式の最初のものである。56年、准看護婦学校の定員を30名に増員したので、センター内が手狭となって休日診療所の併設が不可能となり、上原町の広域圏管轄旧伝染病棟の1部を改修して、57年4月から同所へ休日急患診療所を移転した。

 62年11月28日に『沼田准看護婦学校三十年史』を発刊した。

 63年9月16日から全会員医療機関にファクシミリを設置して、県下の郡市医師会にさきがけてファックス連絡網を完備した。

 沼田保健医療圏が厚生省のかかりつけ医推進モデル地区に選定されて、当医師会が平成7年5月から2年間、県下で最初のモデル事業に着手した。

 平成8年5月から、50名以下の事業所を対象とする地域産業保健センターを沼田市保健福祉センター内に開設した。

 平成9年11月1日のFM・OZEの開局以来、週2回の「医学相談コーナー」の番組提供を継続して、11年11月1日に1年分の放送内容を『医学相談集』第1集にまとめて発刊、第8集(17年10月31日)まで発行した。放送は平成24年3月26日で終了した。

 平成11年10月、平成12年4月からの介護保険制度開始に先がけて夜間開催の介護認定審査会が発足した。医師も出席しやすい夜間開催は県下で当地域のみである。ABCDの4合議体に医師2名ずつ計8名の医師が1期2年ごとに参加して、合議体長とその職務代行を務めている。

 平成13年4月29日、休日急患診療所を旧伝染病棟からグリーンベル21の6Fに移転して医師1人体制の内科、小児科診療を開始した。外科系疾患は、外科系8医療機関による自宅診療所休日輪番制となった。

 平成15年3月6日、県医理事定員2名増を機に当医師会(国府田坦会長当時)が推薦した西松輝高が県医師会理事に当選した。当医師会出身の県医師会理事は、昭和2年3月から4年間の窪田由紀衛に次ぐもので戦後では初めてである。

 平成16年11月27日、県医師会スキー大会を平成4年から(平成5年を除いて)毎年開催しているのを評価されて、県医師会の第1回「厚生事業功労賞」を受賞した。

 平成19年4月3日から毎週火、木の2日間の夜間小児救急診療室を沼田病院の救急診療室を間借りして開設した。

 平成21年度の総務省ユビキタスタウン事業に応募した当医師会の「ICT利活用による沼田医療圏における救急連携」が採択され、平成22年3月から当地域の病院7ヵ所と診療所16ヵ所で「遠隔画像転送システム」の運用が開始した。

 平成26年3月22日、上原町の旧沼田警察署跡地に沼田利根医師会地域医療センター(新医師会館)が竣工した。この医療センターに3月末日までに医師会事務局と沼田准看護学校が移転、更に3月30日(日)から従来の休日急患診療所と夜間小児救急診療室が合併して、毎週火、水、木、金の4日間準夜帯の内科系診療(小児科内科)も行う休日夜間急患診療所がスタートした。

 平成26年4月10日、「社団法人沼田利根医師会」の定款を変更して「一般社団法人沼田利根医師会」となった。

 平成26年に医療介護総合確保推進法が制定され、地域包括ケアシステムの構築が喫緊の課題となり、平成30年4月から「医療と介護の相談窓口」が医師会内に設置された。



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