沼田利根医師会顧問  国府田 坦


明治20年に33名で結成された「群馬県開業医組合利根北勢多郡支部」が、この地域における最初の医師組織であり、今日の沼田利根医師会の母体である。
  明治26年3月に全国組織の大日本医会が創立され、それに呼応する地方部会として「利根北勢多同盟医会」が組織された。これは明治29年4月1日をもって利根郡が北勢多郡を吸収合併し北勢多郡が消滅したため、「利根医会」と改称、会員30名であった。同様に「開業医組合も利根郡支部」となった。
 明治31年に学校医設置方が公布され、明治32年における利根郡の町村立小学校62校のうち24校に学校医が設置された。  明治34年に開業医組合の改組に基き、会員30名の「利根郡医会」を設立、群馬県連合医会に加盟して、明治38年に会の事業としてペスト調査を行った。
 明治39年に医師法が制定され、翌40年「利根郡医師会」を創立し、群馬県連合医師会が結成された。これが医師会の渕源である。 明治42年に会の事業としてチフス調査、明治43年に良家の子女を集めて伝染病対策のボランティア養成の講習会を開催した。当時の会員は32名である。
 大正8年の医師会令による強制設立の法人医師会への改組に従い、会員30名の「法人利根郡医師会」の設立となった。 大正10年に県医師会より委嘱された群馬県医師会利根郡看護養成所を1年間運営して、修行者18名に県知事から准看護婦免状が下付された。
 昭和17年の国民医療法の制定により、医師会の目的は戦争遂行の至上命令に即応するものとなり、郡市区医師会は廃止され、新しい群馬県医師会が設立されて、本会は28名の「群馬県医師会利根郡支部」となった。
 戦後の昭和22年8月26日に会員53名中33名が出席して新生医師会設立総会を沼田保健所で開催した。「社団法人利根郡医師会」は昭和22年11月8日に設立許可となった。
 昭和30年3月25日に利根医師会館を沼田市東倉内町に落成。同所にて翌年4月9日に定員15名の沼田准看護婦学校を開校した。
 利根郡医師会の名称は昭和29年4月1日から沼田が市制となったのに伴い、昭和34年4月1日から「利根医師会」、47年4月1日から「沼田利根医師会」と改称した。
 新医師会館の沼田利根メディカルセンターを沼田市高橋場町に竣工し、昭和47年12月12日に医師会事務局と准看護学校を移転した。
 同センター内にて、昭和48年4月1日から休日急患診療所を開設。これは県下の自宅診療所休日輪番制に対して、定所休日診療所の最初の試みであった。 昭和56年の准看護婦学校定員を30名に増員する計画により、センター内が手狭となり休日診療所の併設が不能となり、沼田市上原町の利根沼田広域圏管轄伝染病棟の一部を改修して、昭和57年4月から同所へ休日診療所を移転、官設民営の形態となった。
 昭和63年9月16日より全医療機関にファクシミリを設置して、県下の郡市医師会に先がけて、FAX連絡網を完備した。

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